2011年当時の写真。写真提供日比選手。

思い出の大会[プロ編]日比選手「矛盾した気持ち」

15歳の時にプロの試合の為に一人で遠征をした時の話です。遠征先はジャマイカで、2週続けて同じ場所でのITFプロシリーズでした。外国への一人遠征は始めてで、私も家族も心臓バクバク状態。

ジャマイカ遠征での最初のパニックな出来事は空港で。ジャマイカに着いて入国しようとした時に、入国管理官のお姉さんに「まさか、あなた一人で来たの?」と聞かれました。「はい」と答えると「ここはジャマイカだよ、とっても危ないのよ。特に女の子が一人で来る場所ではないわよ」と言われました。えええええ、どうしよう。私生きて帰れるのかな?と思い始め、試合で来たことすらもう頭からは抜けていました。

ジャマイカでは、知り合いの繋がりで、ホストファミリーに泊めて貰いました。アメリカ内でのホームステイは何度かしたことがあったのですが、行ったこともない国で泊めて貰うのは大分緊張しますね。国の文化や常識なども全然違うし、不安と興味の気持ちでいっぱいでした。

ホストファミリーは6人家族で、とっても大きなお家に住んでいました。お城のようで、お家の中でも迷子になりそうな方向音痴の私。空港からお家まで車で移動している間に、窓から見えた風景とホストファミリーが住んでいる地域は、別世界。その当時、私は大きな刺激を受けました。

試合会場はなんとお家から車で一時間!正直もっと近いと思っていました。。。気候はとっても暑くて、湿度がものすごく高く、雨もよく降りました。テニスコートはリゾートの中にあり、リゾート内もまた別世界。世界中からの観光客がいて、皆んなジャマイカのビーチで楽しい時間を過ごしているようでした。

1週目の大会結果は本戦2回戦負けで、次の試合まで5日ほど空きました。勿論次の試合まで練習しますよね?ここで2つ目のパニックな出来事が起こりました。ホストファミリーが、もう私を会場まで連れて行けないと言ってきました。え?!じゃあ練習はどうするの?試合は?もう頭がパニック状態でした。

その時ホストファミリーが「タクシーには乗せれないわね。絶対に売られてしまうもんね。」え。。。えええ?!「スクールバスに乗るのはどう?試合会場の横まで行くから、一緒に乗って行ったらどうかしら?」。。。。。

急いで親に電話をし、状態を話しました。母はもう泣きそうな状態。どうしよう。。パニクリ過ぎて解決策もなかなか思い浮かばない。もうアメリカに帰った方がいいのかな?

最終的に取った手段は、試合会場があるリゾートのシャトルに頼むことに。費用は沢山かかるけれども、一番安心できる手段でした。次の試合までの5日間、往復でリゾートの運転手に乗せてもらい、会場に通いました。移動の時間が長いので、運転手さんはよく私と会話をしようとします。同じ英語だけれでもアクセントが強過ぎて、私は全く理解が出来ず、会話になりませんでした。最初の方は英語ではない言葉で話かけらているのかと思ったぐらい分かりませんでした。きっと向こうも私の英語、分からなかったんだろうな。

2週目には、もうストレスレベルが非常に高い状態に。ジャマイカの食事もあまり合わないし、ホストファミリーのお家にいない時間は常に警戒心を持っていて、ずっと不安と緊張の気持ちで過ごしていました。会場でも不振な男性に話かけられ、逃げた時もありました。「早く帰りたいなー」と言う気持ちがどんどん強くなり、一日に何度も思うようになりました。

2大会目の本戦1回戦は、私の中ではとっても不思議な感じでした。「勝ちたい」と言う気持ちは勿論ありました。でも、心のどこかで「でも早く帰りたいじゃん」と言う声も。「そんなこと試合中に思っちゃダメだよ」、と自分に言い聞かせるが、消えない声。「試合に集中しないと」と思っても、「今回は帰った方がいいよ」と矛盾したことをどんどん言ってくる自分の中にいるもう一人の声。自分の中にいる二つの声で言い合ってる内に試合は終わっていました。勿論、負けました。

人生で負けた試合の中で、一番ホッとした負け試合でした。それは良いのか悪いのか、プロとして失格なのか、今でも分かりません。思ってはいけないと分かっていても思ってしまう自分。それとも思ってはいけないと思っていること自体が間違っているのか?試合中に聞こえる2つの声は両方自分?じゃあどっちが本音?どっちを聞けば良いの?分からないことだらけです。

今の私が9年前の私に言いたいことは、「お疲れ様。よく頑張ったね。」テニスプロと言うのはテニスの試合だけをする職業ではないと言うことに気づきました。世界中を回ってテニスプロとして活躍すると言うことはとても大変なことだと。移動の疲れ、環境と気温の変化、思ってもない出来事への対応、不安や緊張の気持ち、その他色々な要因がストレスになり、テニスのパフォーマンスに影響してきます。この遠征を通して、世界の現状、それから
プロテニス選手として活動すると言う現実的な意味に気づきました。あまり良い思い出ではない遠征でしたが、学びと気づきが多い旅でした。テニス選手としても人間としてもコンフォートゾーンからひっぱり出されました。この経験があったから、今の自分がいると思っています。貴重な経験をありがとう。

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